「課題設定の大雑把さ」がネック

(今回は、日常で感じたちょっとした雑感。)



以前から人類が取り付かれる黄金の魅力について興味があった。

すぐ手に入る文献で色々と調査していて、ある程度考えがまとまりつつある
タイミングだったので、出張の道中に、後輩と黄金の歴史について話をしてみた。

その際、後輩は非常に話に食いついてくれたのだが、
最後に「その知識を生かして、なにかビジネスにならないんですか」と言われた。

自分の興味あることが発端で、調査し、考えた事が他の人にとって
価値のある事なら面白いと思ったのだが、若干違和感を感じていた。

恐らくそれは、いきなり自分の知識をビジネスにつなげるという強引で、大雑把な
タスク設定がされているということで、要は、漠然としすぎていてなにかスッキリしないというのが本心じゃないかなと自分の直感を客観的に見ている。



こういう漠然としているときに一番やりがちなのは、
だれでも気づける大きな課題を取り上げ、その解決案をつくることだと思う。



例えば、私は自転車が結構好きなのだが、タイヤの空気を入れるのが面倒だと感じている。
このとき、わたしがなにかビジネスチャンスを探していたとした場合、
「よし、課題はタイヤの空気を入れるのが面倒だと感じる事だ」と課題設定したとしよう。



その課題設定だと、対策案をブレストとかした場合、「空気が不要なタイヤ」とか
「スタンドしたときに自動で空気をいれる装置」とかそういうアイデアになったりするのではなかろうか。



この流れに違和感を感じないだろうか。



恐らくその違和感って、いくつかあって、
(1)ニードを正しく認識しているのか
(2)解決される価値と提供コストの関係をわかっているのか
といったところから発生しているのではないかな。



(2)も重要だと思うけど、今回は(1)について考えてみたいと思う。



ニードを正しく認識していないと思う一番の理由は、「面倒」がなぜ面倒なのかというところを深く把握していないところと、その面倒な結果、対象者がどのような行動をとっているかを把握していないことだ。



ニードを正しく認識していない中でも、結構重要だと思うのが、面倒な結果どのような行動を取っているかだと思っている。



実際に、何か課題を解決する手段を提示する際、顧客の行動がどのように変わるか見る必要がある。
つまり、課題は解決されたけど、今までの行動を阻害して、より面倒になっているケースが多々考えられるからだ。


例えば、病院で働く看護師にベッドサイドで行っているひとつのアクションを、
ナースセンターで楽にできるような案を提示した場合を考えてみる。
看護師が別の業務で結局ベッドサイドにいくようであれば、その際一緒にそのタスクもできるので、特にナースセンターで行う必要がないことになる。
それであれば、全然行動を変化させることができず、結局価値を与えられていないということになる。


何かサービスやモノを提供する場合、対象者がシングルタスクを行っている場合は、とくに行動を考えなくてもよいが、普通は、生活や仕事の一部に対して何か解決案を提示することになる。



その場合は、対象者が課題だと思っていることに対してだけ考えるのではなく、
その課題の結果どのような行動を取っていて、どのように感じているのかを知る必要があるのではないかと改めて感じた。


要は、ちょっと課題設定が雑で、解決案を考える事を急ぎすぎている事って、
結構世の中多いな〜と感じているということです。



(ちょっと例題に対してニードの深堀と現状の取っている結果を見てみた)


空気入れるのが面倒の深堀
- 空気入れるとき手が汚れるのが嫌
- 空気入れるときしゃがむのでしんどい
- 空気入れが自転車停車する場所にないので、持ってくるのがしんどい
などなど


面倒な結果の行動
- 空気入れなくてもある程度自転車が進むので、当面は気にせず、そのまま空気を入れない
- 少し遠くの無料で入れられる自転車屋さんの自動空気入れを使用するため、休日そこへ向かう
などなど